先日の龍神雲について確認をしたく(何を?)現地調査に行って来ました。
朝5時半頃に川越街道を走っていると虹が見え始めました。通常の虹と白っぽい虹の2重の虹でした。
ただしどんよりとした雨雲があちこちに見られポツポツと雨が降ってきました。
夕方のニュースにも日本各地で白い虹との二重の虹が見れたと話題になっていましたね。
今上天皇の即位礼正殿の儀でも降っていた雨が止み虹がかかった逸話がありましたね。
虹は龍の仮の姿とも言われているようです。本日向かうが両神山の麓の龍頭神社と両神神社で両方とも里宮です。
カーナビのゴリラライトでは龍頭神社は検索しても出て来ません。google mapで場所を確認しR299の志賀坂峠の手前をゆっくり走って見つけました。
龍頭神社の表示はなくgoogle mapで見た神社の階段の画像と同じものを見つけ手前の道を左に回ってバイクを止めました。
八日見山入口の案内。両神山の尾ノ内渓谷入口からの登山口
マイクロソフトのBing mapでは八日見山龍頭神社と表示がありました。
龍頭神社の鳥居。階段は古く急で石段の幅が狭く苔が生えていて滑りやすい。
神社は聖域の為写真撮影は無し、拝殿とかの画像はありません。インターネット検索すると主祭神は龍頭大明神のみ。確認したい方は調べてみて下さい。
日本武尊が碓氷峠までの道中で道に迷いその時山犬が現れ案内したという話から狛犬がここら辺の三峰神社と同じ狼(山犬)になっていました。
古い建物で地元の鎮守社のようで特に由緒書きとかはありませんでした。権現造りで軒の丸い唐波風の屋根の下に龍の彫刻が2匹ありました。
奉納絵はいくつかありましたが文字が消されたみたいに風化して読み取れませんでし。
白い山犬二匹が向かいあった絵の他に気になる絵がありました。絵の右側に白い服を着た三人の人が書いてあり真ん中が若者でその両脇に背の低い老人二人が書いてありました。
山犬、狼(オオカミ、大神)は眷属と言われ、眷属とは親族、従者、配下という意味で奉納画の三人の絵は日本武尊と二匹の山犬を表したものかもしれません。
日本武尊がここらの山を通るのに八日かかり山に伊邪那岐と伊邪那美の2柱を祀ったとの事から八日見山とか両神山呼ばれるようになったようですが元から神霊がある山で古代の山岳信仰があったのだと思います。
神社の後ろの山はピラミッド状の三角山でした。
龍頭神社は読み方をりょうがみじんじゃと読むそうですが、りゅうとうじんじゃとも表してあるサイトもあり不明でした。
両神山は西側の山の更に西側にあり来た道を麓まで戻り、西に移動し又上に向かって走っていかなければなりません。カーナビでは平行な道で龍頭神社から直ぐそばにあるようです。
登山者の為バスが通っていますが、道は荒れてバイクではところどころ注意が必要でした。
拝殿は両神山とは逆方向を向いてました。下の小さな祠が両神山の方を背に建てられていました。
由緒書きはやはりなく奉納絵も少なく龍の絵の奉納絵は確認出来ました。
現在はもっと麓の神社に合祀されている両神神社にお参りに行くようです。
龍頭神社も両神神社も側に川が流れていました。龍は水神と言われていますが川の側は急峻で田んぼはなくあっても狭い畑ばかりです。
日本武尊が伊邪那岐と伊邪那美の二柱を両神山に祀る前から古神道の信仰があったかは不明ですが、眷属の山犬が山岳信仰の修験道の賢者だとすれば龍神信仰はあったのかもしれません。
この後小鹿神社に寄りました。小鹿神社は元は諏訪神社だったようです。諏訪信仰にも甲賀三郎伝説含め蛇や龍に関する話もありますね。
秩父の三峰神社にも寄りたかったのですが雷警報があり気温も高く熱中症になる心配もあり帰宅する事にしました。
ピラミッド山については蛇や龍がとぐろを巻いている形から龍神信仰にやはり関わりがあると思います。
いろいろ調べると龍神は天と地を繋ぐ存在との事です。その辺りは鬼や天狗や修験者も同じような存在のようです。
甲賀三郎伝説の蓼科山も諏訪富士といわれる山ですし、昨年の夏に奈良県桜井市にある大神神社の三輪山に行ったのですが主祭神の大物主は蛇でもあるとの事から神様が龍や蛇と関係があると関心を持っていました。
こちらはツーリング先でも多いビーナスラインの蓼科山。こちらはいつもの白樺湖側からは逆の大河原峠から登ってきた途中で見る蓼科山。
伝説で甲賀三郎が落とされ蛇になってしまった蛇穴があります。
奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の鳥居とご神体でもある三輪山。
(万葉集で「みわやま」と記憶していましたが現地では「みわさん」と呼ばれてました)
拝殿前の階段の上にある縄鳥居が独特でびっくりしましたし、境内に巳の神杉というのがあり供え物のして蛇の好きな卵を置く台が設置されているのにもびっくりしました。
祀られている大物主大神は大国主の国造りを助けた大国主の幸魂・和魂(さきみたま、にぎみたま)と言われていますが、美形な男子が蛇で大物主大神であったといういくつかの三輪山伝説があります。
また崇神天皇の時代に疫病が流行り、神託で大物主大神自身が流行らせたと告白し私を祀れば収まるとした祟り神でもありました。
奈良には天災や天然痘の病から日本を救う為聖武天皇が建てた東大寺があり、その大仏様が向いている方向と、藤原鎌足が鹿島神宮から白い鹿を勧請して建てた春日大社の拝殿の向いている方向は同じ南側を向き、この三輪山と大神神社の方角であり大物主を睨み見張っているように思えました。
その大神神社の鳥居の向いている方向、拝殿の向いている方向が本殿とされている三輪山であるとされていますが、東の方向の東日本を向いているのではないかと考察しています。
古代大和政権の統治は紀伊半島と太平洋側の船で行ける今の千葉くらいまでで東日本は未だ統一していませんでしたし、東山道も整備されていませんでした。
日本一のピラミッド山ともいえる富士山が、記紀に特に出てこないのは不思議です。